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【旅282日目】旅の本質は今も昔も変わらない?二川宿資料館で学ぶ東海道の旅

投稿日:2017年7月9日 更新日:

全国一の「うずら」の生産地はどこ?

愛知県は豊橋を移動してやって来たのは二川という閑静な住宅街。そんな街中に突如として現れるのは「うずらプリン」の看板。

・・・いきなりですが、皆さん「うずら」の卵は大好きですね?美味しいですよね、鶏と比べて小ぶりで濃厚なお味。そんなうずらですが、日本での生産シェア7割を誇るのが愛知県だという事をご存知でしょうか?さらに、その愛知県の中でも8割以上は、ここ豊橋で養鶏されているということをご存知でしょうか?

ええ、私は全く知りませんでした(笑)

愛知県=うずら、これは覚えておいて損はありません!なぜなら、豊橋の中に、極上の「うずらプリン」を売っているお店があるからです。そのお店こそ、上の看板の主「菓匠 華月」さんなのです…!

大臣賞をもらったり、世界に通用するお土産として選ばれたりしている、うずらプリン。そもそも、うずらの卵で作られたプリンというものが非常に珍しく、ホームページによると華月でしか食べられない様です。濃厚で、普通のプリントは一味違う、うずらプリン。愛知県の二川に来たら是非ともご賞味あれ!

(ブログ読者であり旅仲間の方に教えていただきました。情報ありがとうございました!)

東海道五十三次の資料館で「今と昔の旅を比較」…本質は変わらない

華月にてうずらプリンを堪能したのち、少し移動して同じ二川の中にある、二川宿本陣資料館へとやって参りました。二川宿(ふたがわしゅく)とは、東海道の宿場の一つ、今は東海道の旅の資料館として、多くの資料と宿場の様子が再現されています。

結論から言いますと、ここが「旅人なら絶対に訪れてほしいおすすめの場所」でございました…!

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)は江戸時代に整備された五街道の内、東海道をさす宿場の事。宿場とは、旅の人が泊まる宿を指します。

― 江戸時代の旅人は、何をもって、何を求めて、どうやって、どこを通って旅をしていたのか?

旅をしている者にとって、時代を遡り旅の浪漫と風情に触れることができる資料館となっています。

当時の旅人も、旅の記録を付けていたことが分かります。自分がどこで何をして、どういった事にお金を使っていたのか。旅が終わった後に見返すと、それは一番の旅の思い出となり、旅のことを鮮明に思い出すための材料となります。

ブログ、ですよね。今の私で言えばです。紙の日記もデジタルの記録も、やりたいことは変わりません。旅の記録を付ける事は、旅が終わった後に大きな財産を残すことです。

当時の旅は、今より大変だったでしょう。しかし、記録をつけることに関して言えば、私の方が大変だと言う自負はあります(笑)

東海道五十三次は日本橋から始まり京都で終わる旅路。

日本橋、品川、川崎・・・戸塚、藤沢・・・小田原、箱根・・・そして二川。二川は33番目の宿場です。当時の人は毎日40キロ程を歩きました。スマホも、天気予報も、コンビニもない時代。苦労は今の比ではないでしょう。しかしその反面、人と人との繋がり、人情は今よりも厚かったのかもしれませんね。

上の旅路を見ると、金銭感覚は今とあまり変わらないのが面白い。宿場での宿泊費は概ね2000円~3000円程度(一泊二食付き)と今より少し安い程度だったようです。

新たな場所を求めて、知らない道を通り、様々な苦労を経て、目的地に経る。道中、景色や、温泉や、食事や、人との出会い、難所を越える喜びや、日常からの解放感・・・今も昔も、旅に求めていたことは、本質的には変わらないんだなって、感じることができました。

全てが便利になって、日本全国の景色がどこも変わらないような、どこか画一的な景色ばかりになってしまいましたが、それでも、「旅」という非日常を経験することは、やはり刺激的であり、苦しくも楽しくて、人生においてこれ以上ない経験だと思っています。

(人生で一回、旅、経験してみてはいかがですか…!?)

今と昔で一番違うのは持ち物でしょうか?時代が変わり、持ち物は根本的に変わりました。しかし不思議なことに、便利になった今の方が持ち物が多く、大きいのは何故でしょう?笑

説明書きによれば当時から「利便性を追求すれば持ち物が増えて困り、少なすぎれば不安である」と、旅人の心情は今も昔も変わらなかったことがわかります(´▽`)

宿場~旅籠屋、本陣、木賃宿~

宿場とは旅の人が泊まる場所の事ですが、実際に泊まっていた宿は旅籠屋(はたごや)本陣と呼ばれました。旅籠屋はいわゆる普通の旅人が泊まる場所であり、本陣は大名レベルの位の高い人が泊まる場所のこと。

当時の時代背景を思わせる質素で風情すら感じる食事。コンビニやスーパーが林立する今とは違い、当時の旅の人は宿場で食事をとるのが基本だったようです。一方で、木賃宿(きちんやど)と呼ばれる、お米と焚きを自分で用意して自炊する宿もあったと言います(薪を用意するっていうのが、時代ですよねぇ)。

この辺のスタイルは、今も昔も変わらないんですね。違うと言えば、旅籠屋は留女(とめおんな)という女性が呼び込みをしていたそうです。

今でいえば、食事付の民宿が本陣や旅籠屋、食事なしの民宿やゲストハウスが木賃宿と言ったところでしょうか(๑´ڡ`๑)

二川宿資料館には旅籠屋と本陣が再建・再現されています。おかしなもので、便利になった世の中なのに、江戸時代の味ある宿場の方が魅力的に感じるもの。こういう場所に来ると、今でも残っている昔からの遺構は絶対に守り抜かないといけない、そう強く思います。

何でもかんでも便利に、最先端にすればいいってものじゃないですよね。

本陣で、大名など偉い人が泊まる場所。一段高くなっていることがわかります。

・・・

この辺りの地域は戦災にあっていない為、多くの資料が残っているんだと言います。資料館には豊富な展示と分かりやすい説明で、江戸時代の旅の様子が解説されていて、旅を経験したことがある人ならば、感動間違いないでしょう。そうでない人も、旅という非日常の一端に触れることができる、素敵な場所です。

(こちらも読者の方に教えていただきました。知らないで通り過ぎてたらマジでもったいなかった。フミオさん、本当にありがとうございました…!)

旅はいよいよ静岡県へ(おいおい、隣は神奈川県だぞ?)

愛知県を抜けて、静岡県へと入りました!!!

おいーーー!!!隣、神奈川県じゃないかー!!!(向かう先は山梨県だけどw)

マジで、マジで近づいてるーーー!!!

あと、10日程で、旅が終わる!?マジで!?嘘でしょ!?

静岡県に入り、これで40県目となりました。残りは、41.山梨県 42.長野県 43.群馬県 44.埼玉県 45.東京都 46.神奈川県のみとなりました。

静岡入ったら急にガスってきましたね。

この後は浜松までひたすら走ります。

浜松と言えば餃子だけど・・・

浜松と言えば餃子!やって来たのは錦華楼(きんかろう)という中華屋さん。現在15時という事で、営業しているお店がほとんどない中、通し営業をしているこちらのお店は有難かった…!

浜松はもっと餃子押しかと思いましたが、宇都宮のように餃子屋さんが林立している訳ではないんですね。餃子の旗もほとんどみかけませんでした(汗)

浜松餃子は野菜が多めとのこと。いざ食べてみると、そこまで野菜感はないような?もやしがトッピングされているのも浜松餃子の特徴らしい。

チャーハンは微妙に野菜が多い気がする(笑)

浜松から掛川へと移動していきますが・・・国道1号線って、基本的に自動車専用道路なんですね?東海道を歩いて旅してきた先人たちに謝れマジで。

なんかもう、こんな訳わからんことになるなら、歩道も整備したらって感じです。自動車専用道路にそこまでの意味、あるのだろうか?

チャリダー的には海沿いを走った方が分かりやすかったのかもしれません。

ネットカフェまでたどり着けなかったので、道の駅「掛川」にて終了。自炊して残っているパスタを消費することに。

四日市でお会いしたAさんから頂いた虫よけスプレーが秀逸すぎる…!

24時間開放の休憩所があるので、今日はそちらで寝ます。ずっとエアコンが付いているとか、神か。。

移動ルート

今日の旅データ(282日目)

本日の走行距離 81km 
総走行距離 11141km 
スタート ネットカフェ「快活クラブ(豊橋岩田店)」
ゴール 道の駅「掛川」

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