写真を趣味にして早4年が経とうとしている。
途中全くカメラに触っていない期間がありながらも、写真が自分の趣味だと認識してからそれなりの時間が経った。
写真は上達しただろうか?
SNSを覗けば全国様々な場所で、素敵な写真を撮っている人がいるので、この数年で写真が全く上達していないんじゃないかと思う時もある。
でも、果たして本当にそうなんだろうか?そんなことを考えをまとめてみます。
上達したのか、してないのか、比べるのは過去の自分
隣の芝は青いというけれど、写真に関してはSNSやネット上に羨むような写真がたくさん溢れているように思う。
自分が訪れたことのない絶景を見ている人はたくさんいるし、それを写真に納めている人もたくさんいる。
写真の良し悪しは好みによるところも大きいけれど、被写体との出会いがとにかく大事だからこそ、そんな景色にであることが羨ましい。
でもだからこそ、他人と比べてもあまり意味はないのかなって思うようになってきた。
「自分はまだ行ったことがない」「自分が訪れた時は条件が悪かった」こんなことは風景写真では当たり前だし、山岳写真ではもっと当たり前。
他所で羨んだ景色は、将来自分が出会う景色なのかもしれないし、一生出会えないかもしれない。
だからこそ、他人と比べても意味がない。
SNSや写真集や定番構図は全てヒントという発想
翻れば、情報がとにかく得やすい世の中だからこそ、ネットやSNSはもちろん、写真集や雑誌などから得られる情報はヒントにすればいい。
風景写真なんていうのは被写体がとにかく遠いことも多いし、山岳写真なんてのはその際たる例だと思う。
だからこそ、他の方から得られる情報を最大限活用して、自分の機会に活かせばいい。
多くの情報に暴露されて、簡単に自分と他人と比べられる時代だからこその利点かもしれない。
私が好きな風景写真、特に山岳写真には定番と言える構図や撮影場所がたくさんあるのだけれど、その場所に行って、全く同じ写真を撮ろうとしても過去の写真を再現することはとても難しい。その日の条件、例えば光の加減や雲の状況、季節やカメラを構える高さなどによって過去の定番写真を参考にしたとしても、同じ写真は生まれない。
定番の撮影スポットなんていうのはまさに写真のヒントをもらうのに最適だと思う。
そういった場所から撮影することで、自分なりの好みや撮影の傾向が見えてきて、自分の理想的なビジョンが具体的になるかもしれない。
自分以外の全てをヒントにすることで、自分の成果を高められるのであれば、なんだって活用すべきなのかもしれない。
過去の自分と比較する意義
今のカメラやレンズは優秀だし、LightroomやPhotoshopは簡単に操作できるから、デジタル写真に入門した人はある程度のお金を払うと綺麗な写真が簡単に撮れる。
Nikon Z6なんて本当に綺麗な写真を出してくれるから、撮影的な技術よりも、それ以外がますます重要になってくる。
こと私が好きな山岳写真では、やはりどれくらい足を運んだのか、その中で素敵な景色に出会えた打率はどうなのか、ということが重要。
過去の自分と比べるならば、細かい写真技術よりも、どの程度遠征したのか、シャッターを切ったのか、いつ、どこに行ったのかを比較してみると良いかもしれない。
撮影しにいかなければ写真は生まれない。
過去の自分と比較すべきは技術よりもそういった内面的なことなのかもしれない。
趣味なんだから、嫌なら辞めてしまえばいいだけだけど、どうせなら過去の自分に嘲笑されないような今でありたい。
そんな想いがモチベーションになり、今日もまたカメラを持って山へ向かいます。
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