現在、一時的に登山活動を休止しております。
写真集を発売したり、今後の活動を考えてたりしている今・・・そういえば「山を始めたきっかけってなんだけ?」「こんな登山の魅力もあったよな」と、しみじみと想う日々。
今の生活と山との関係性も見えてきました。
今日は初心に帰ったつもりで、山の魅力を再考します。
山に興味を持ったキッカケ
私が最初に登った山は何を隠そう、日本最高峰の富士山でした。
当時はまだ世界遺産ではなく、外国人の姿はそれほど多くなかった記憶です。それでも、山小屋は鮨詰め状態、まだ登山という趣味を始める前でしたので、高所に対する耐性があるはずもなく、高山病でひどい頭痛に襲われたのをよく覚えています。
富士山から見下ろす絶景もさることながら、次に登った槍ヶ岳からの夕日は実に見事なものでした。
槍の肩から眺める燃えるような落日と立派な笠ヶ岳。
富士山も槍ヶ岳も友人に連れられるように登ったので、私の意思ではありませんでした。
しかし、あの夏の日の憧憬が山に興味を持ったキッカケとなるのでした。
登山の魅力、山の魅力
富士山や槍ヶ岳に登ったのは大学生の時。アウトドアにハマっていた友人に連れられるように登りました。山にしかない魅力、山からしか眺めることができない景色というのは、確かに存在します。
おそらく私だけではなく、多くの人が山から眺める荘厳な景色に圧倒され、魅了された経験があるはずです。
その経験が山への興味を確信へと変え、もっとたくさんの山に登りたい、もっと高い山を登頂したい、もっと難しい道も歩いてみたい、そんな気持ちの原動力になっているのかと思います。
山と言っても大小様々あり、構成している地層が違えば、山頂からの景色は当然違う。山大国である日本は一部の地域のぞいてほぼ全域に山岳地帯があり、山という存在は無意識に日本人の心の中に在ります。自らの足と目で山を感じることで、無意識に刷り込まれていた山への感情が昂まるのかもしれませんね。
加えて、登山というのは景色を楽しむだけはなく、自分自身の成長と密接に関わっているのも魅力です。
登山という活動を始めたとて、どれだけ強い想いを抱こうとも、登れない山、登れない時期というものが存在している。自身の経験と成長のみが次なるステージへの扉を開けてくれる、それが良い。文明の力を持ち込み得ない超越的な場所であり、高い利便性に慣れてしまった私たちにとって、真に原始的な体験を与えてくれる貴重な場所です。
嘘だと思うなら、南アルプスの農鳥小屋のトイレに行ってみてください。あそこでお腹を壊した私はあの時のトラウマを一生忘れません。
厳冬期の3000m稜線でお腹が超絶痛くなった時、あなたを待ち受けているのは真に原始的な体験のみです(笑)
・・・例はちょっとアレですが、山はそれほどまでに得意な場所だということです。
山の景色がいかに素晴らしいかを知ったと同時に、登山の難しさを理解するからこそ、たくさんの経験を得て、自分が望む場所へ到達しようと努力する。たとえば高山の冬季登山は本当に厳しい。
ある意味、人間は難しさの中にこそ快感を見出すものだし、その先にある達成感が人生においていかに重要なものであるかを知っている。コンクリートジャングルから一歩踏み出して、自然の中に還る営みとも言えるし、過去の自分を乗り越える試練の場所でもある。
登山の魅力、山の魅力とは・・・自然との一体化であり、自身の成長であり、先にある達成感と人生の充足にあるのだと思います。
登山活動の多様性
登山とは一様な活動ではなく、山に対する興味が細分化していくのは当たり前のこと。
自分相応の易しい山を歩き、山頂を目指して安全に下山する。そんな活動を繰り返すうちに、山というフィールドの中で様々な活動をしている人がいることを知り、自分もなにかの道を極めたくなっていくものだと思います。あるいは、山で活動することに重きを置くのではなく、下界との調和を図るために山に行くという方も多いでしょう。
改めてではありますが、代表的なものをまとめてみました(ほんの一例です)。
1. ○○名山制覇
山岳大国日本の著名な山頂(ピーク)を踏破するスタイル。三百名山、二百名山、百名山、花の百名山、各都道府県の百名山など種類も様々。
ちなみに一般的な百名山踏破とて、北は利尻・羅臼から南は屋久島まで分布しておりかなり大変です。○○名山制覇は達成感のある素敵な目標ですね。
2. ストレス発散
下界でのストレス、仕事、家庭、人間関係・・・。穢れなき山の空気で下界のストレスを浄化する。
SNSを見てますと、この目的で入山している方がたくさんいらっしゃるようです。山の清廉な空気と雄大な景色には癒し効果があるのは間違いありません。
3. クライミング
初めは登山道を歩いていたけれど、次第に整備された道では真の充足感が得られず、道なき道を、道なき壁を進むようになる。特に山の中で遊ぶ感覚が強い方、あるいは自然の中に身を置いて山と一体化するのが好きな方に多い印象。
夏はクライミング、冬は登山・アイスクライミング・山スキーというスタイルの方も多いようです。
4. トレラン
山に関わらず、走るのって気持ちがいい。それを山の中でやるのだから、さぞ爽快感があるのでしょう。
重たいバックパックを背負って牛歩のように進むのではなく、身軽になって脱兎のごとく山の中を駆け回る。その解放感が気持ちいいのかもしれませんね。
5. 自然への帰化
ストレス発散と通ずるものがありますが、一部の人は山の中にいる自分こそが真の自分だと言わんばかりに、山ないし登山に没頭している人がいます。毎週のように、機会があれば入山している人にとって、登山とは山に登る行為というよりは、大自然の中に帰化しているようにさえ思えます。
山小屋が天職なのではないか・・・と思うほどです。
6. 山岳写真
意外にも山での写真を目的に入山している人は少数派。
日本独特の撮影ジャンルだと言われています。そのせいもあってか、山岳写真というカテゴリーはそのうちなくなってしまうのかもしれません。
目で見た景色をデータないしプリントとして一生の記憶の景色にする。山が一瞬見せる劇的な表情を求めて、重たい機材を背負い、その瞬間を待っています。
山に行きたいと想う時
さて、ご報告の通り最近は一時的に登山をお休みしています。
逆転の発想で「なぜ山に行きたくならないのか?」と考えてみたのですが、この記事を書きながら想うところがありました。
『今までで一番、下界の生活が安定している』というのが、その理由かもしれないと。
下界での生活と山の関係
これまで山に夢中になっていた時期を想うと、職場や仕事内容に不満があったり、親族が大病をしていたり、身の回りに大小様々なストレスがありました。
幸いなことに、今は街の生活にストレスがありません。
嫌味に聞こえてしまう方にはすみません。ただ、私は私で大変な時期が長かったんです・・・。それが今は、本当に幸いなことに、とてもストレスフリーな時間の中に身を置いています。仕事も、お金も、居住環境も、これまでで最も安定しています。
・・・そして、だからかもしれないと。
『山でリフレッシュをしたいという感情が湧いてこないのだ』と気がつきました。
山の写真を写真集という形にまとめて、一息ついているのも事実です。ただやはり、山で過ごす時間に癒しを求めていたのでしょう。だからこそ、今は家でゆっくりしているだけで、充足感が強いのかもしれません。
まとめ
登山の魅力や山の楽しみ方は人それぞれですが、自分がなぜ山に惹かれ山に登るのか。
考えてみると意外な気づきがあるかもしれません。
私にとって、山という場所、登山という行為は、知らず知らずのうちにストレス緩和の解毒剤になってくれていたのだと、今更ながらに思うのです。
そういった意味で、次に登山を再開する時、これまでとはまた違った気持ちで山と向き合うことができそうです。
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