登山って本当に素敵な趣味ですよね。日常とは完全に一線を画した世界で、普段決して味わえない感動を経験する。
地上と稜線とでは見える景色も、言ってしまえば空気の密度すら違う別世界。
登山の素晴らしさは当ブログでも何度もご紹介してきました。
それにも関わらず『登山に行くのが面倒だ』という気持ちが時折(いや割と頻繁に)芽生えてくるから不思議なものです。
Twitterで呟けば同じ気持ちの方がたくさんいらっしゃるように思います。
以前に似たような記事を投稿しました。登山に対する「飽き」や「面倒」という気持ちは一定のサイクルで湧き上がるものかもしれません。
今日はその辺りのことについて、原因や対策を考えてみたいと思います。
登山はいつか飽きてしまう
大前提として書かせていただくとすれば、そもそも私は生まれつき極度の飽き性だということです。
これまで最も長く続いている趣味は英語学習の10年くらいなものです。学生時代の部活動などは本当にすぐ飽きてしまうので長く続きませんでした。
登山はどうかと言えば6年目ではありますが、2018年は登山や旅に疲れてしまって活動休止していたのでカウントせず実質5年の経験があると言えます。
登山を始めたばかりの頃は山に登るだけで本当に楽しかったものです。登山に限らず、新しい体験というのは神経・心を刺激するような快感がありますよね。
特に登山では美しい景色、観たことない自然の美しさ・儚さに触れることができる究極の趣味の一つだと思います。
しかし、そんな登山であってしても、多くの人が「飽きてしまった」「行くのが面倒になってしまった」経験を少なからずしているのではないでしょうか。
どこかで見たような景色になってしまう
日本には本当にたくさんの山があり、その景観も多種多様です。
とは言え、私のように利尻山から屋久島まで日本全国の山に登ったことがある場合、新しい山に登ったとしても、どこか似たような景色になってしまう確率が上がるのも事実です。
日本の山すべてが穂高や剱のように個性的なわけではありません。
「ま、こんな感じやね。きれいだけどさ。」と心のどこかで思ってしまっている。そんな瞬間が増えてしまうもの。
山頂へ至る工程が想像できてしまう
登山の経験が増えてくると、いわゆる整備された登山道を歩く限り「こんな感じの道だろうな」と想像がつくものです。
それは登山の経験値が上がったことを意味していますし、登山のレベルが向上していることにつながりますが、一方で「こんな感じの道を歩かなきゃいけない」という負の感情が芽生えることもしばしば。
山を歩くことは登山の意義であるはずなのに、心のどこかで「山を歩かなきゃいけない」に変わってくる瞬間があるものです。
もう途中の工程はいいから、山頂までワープできたらいいのになと。
一度歩いた登山道はある種の修行になる
登山に対して「飽きや」「面倒」という感情が芽生えてくることもあるでしょう。
特に顕著なのは過去に登ったことがある山や山域を再び歩く場合です。
2回目ならいざ知らず、3回目やそれ以上となると「もうこの道は歩きたくない」という状況まで症状が進んでしまうことがあるかもしれません。
それでもその道を歩いているのは「その道を歩かないと山頂に行けないから」ということではあるのですが、好きで赴いている山に対して何だか失礼ですよね。嫌なら来るなと言われれば返す言葉もありません。
例えば上高地から横尾までの道はその代表例かもしれませんね。穂高や槍に行きたいのであって、上高地から横尾を歩きたくて歩いているわけではない…そんなセリフを吐き捨ててしまいたくなる時もあります。
山にかける想いが『面倒』を超えられない
登山に行けば「やっぱり来てよかった」と思うことが常なのですが、たいてい登山が面倒だと思い悩むのは出発数日前から前日です。
「行って晴れなかったらどうしよう」「山に行くより家でゴロゴロしていたい」「またあの電車とバスに乗るのか」「また上高地から横尾まで歩くのか」
・・・面倒の背景にある要因は人により異なると思いますが、山に行きたいという思いより『面倒』が勝ってしまうわけですね。
山登りが面倒だと感じてしまった時の対処法
私はこの一年同じような山域、いわゆる北アルプス南部にしか行っていないこともあり、登山の楽しみと苦しみと、飽きや面倒と言った感情とうまく付き合う必要性を強く感じていました。
だからこそ、山登りが面倒だと感じてしまった方は以下のような対処法を取ってみるといいのではないかと思っています。
1. 同じ山域に連続して行かない
山と真摯に付き合うために重要だと思っているポイントがこれです。
同じ山域ばかり連続して行くことなかれ。
目的があれば別ですが、そうでない限りは色々な山域や山を分散的に登ることをおすすめします。
そうすることで似たような登山道を歩くこと、似たような景色で感動が薄れることを防ぐことができます。好きな山域が複数あればそれらをローテーションさせると良いですね。
2. 山の四季を楽しむ
個人的には、登山を長く続けるためには必須条件かと思う雪山登山。
雪山登山はしないという方がかなりいらっしゃると思いますが、全ての雪山が命に関わるほど危険なわけでは決してありません。
登山に飽きがちだという方はぜひ3シーズンだけでなく、雪山にも挑戦してみると良いと思います。
雪山登山をもってしてもなお、登山に対して面倒や飽きという感情は生まれるのだから厄介なものですね。
3. 無理して遠方の山を登らない
松本や安曇野、甲府や小淵沢に住んでいる方ならいざ知らず、都心に住んでいる場合、まあどこの山に行こうと思っても遠いものです。
横浜在住の私なんかは近場にまともな山はありませんので、どこに行くにしても気合を入れて遠出する必要があります。
一方で、最寄りの百名山である丹沢山であればそれなりの距離ですし、低山であれば横須賀・葉山・鎌倉なども歩けないこともありません。
山といえば必ず日本アルプス・・・なんていうスタイルしか知らないと「行くだけで面倒」という症状が悪化してしまうかも。
4. 違う趣味と登山を掛け合わせる
最も代表的なのが写真撮影(カメラ)だと思いますが、他にも野鳥観察や野草や地層など地理的な要素を組み合わせる方もいます。
先ほど例として挙げた上高地から横尾までの往復ですが、よく双眼鏡を覗いている方を見かけますよね。
ただひたすらに登山口と山頂を往復している場合、山岳写真と意気込まなくとも、カメラを持って登山に出かけてみるだけで違う発見があると思います。
5. 思い切って登山から距離を置く
私は2018年がまさにこの時期でした。2016年から2017年まで自転車日本一周と登山(雪山デビューを含む)に精を出していた反動もあり、2018年は燃えかすのように灰色の時間を過ごしていました。
山に行きたいという本能は残っているのに、足が動かない。
実はブログもそうでした。短期間にあまりに大量の記事を書いたことにより、ブログを更新しなければならないという危機感はあるのに、手が動かない。
強い想いを持って短期集中的に取り組むことは技術向上や目標達成のためには最も効果がある方法だと思いますが、やはり息切れしがちです。
登山が面倒だと思っている方は、それは心の声だと素直に受け止め登山から遠のいてみるのも良いでしょう。
しかし、この方法には注意点があり、あまりに長い間登山に行かないと「二度と登山に行かない」ことになりかねませんので、長くとも1年くらいの休止がいいように思います。
6. 登山 – 登山 の間隔を少し長くする
上述の通り、一度登山という趣味から距離を置いた私が今現在とっている手法です。
私は3週間〜4週間に1回程度の登山間隔が心地よく、Twitterでお見かけするように毎週末のように山に出向くのはもう無理です。
その理由の一つに、私は必ず1泊から2泊の登山で毎回全力を出していること。さらに、それ以上の間隔ではまた息切れしてしまうことが感覚的に分かっているからです。
実績を残すという実利的な観点で見ても一つの趣味を長く続けることはとても重要です。自分にとって心地よい登山間隔を見つけることはとても大切ですね。
最後に
中には同じ山だけを何十回、何百回と登られる方がいます。
富士山だけを数百回登っている。地元の山に毎日登っている。そういう楽しみ方・山との付き合い方があるのも事実です。
しかし、一般には難しいですし、視野が極端に狭くなるデメリットもあります。
色々な山を知っているから培われる知識や経験があり、広い世界を知ることで極める対象が見つかることもあるでしょう。
自宅から大荷物を持って、時に命を危険に晒しながら山頂を目指す。登山というのは前提として精神的・肉体的ストレスが大きな趣味です。山に癒しを求めに行くのに逆説的な話にはなりますが。
山に行くのが面倒だ。それは心のシグナルである可能性が高く、まずはその声に耳を傾けながら、自分にとっていつどこに行くのが幸せなのか判断するのが大切ですね。
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