私の感覚としては、世の中の様々な事において、ミクロで見てもマクロで見ても、二極化が進んでいるように思う。実は均質化が進んでいる側面もあるのだが、全体でみれば二極化が目立つように思うし、その深刻度は大きいのではないでしょうか。
特に貧富の差や教育の差などが目立つ。
この根本的な原因は、どこにあるのだろう?
中学生や高校生の子を持つ親と話す機会があったのだが、今の学生は「勉強をする子としない子」の差が、昔と比べて比較にならないくらい大きいのだとか。
いつの時代でも、勉強をする・しない子はいたはずだし、これを定量的に比較することは難しいのだけれど、感覚的に捉えても、その差は大きくなっているのだろう。
私が小学生だったころ、まだスマホどころか携帯電話すら一般的ではなかったので、放課後は友達と家でゲームをしたり、公園でサッカーや野球をしていた。
今はどうか。小学生でもスマホを持っているのが当たり前だというから驚く。
分別が付くはずの大人でさえ、驚くほどの時間をスマホに費やし、無駄でしかないスマホゲームに課金してしまう昨今。多くの小学生がスマホやソーシャルメディアに依存して、勉強などしない、なんてことは容易に想像がつく。
一方で、それでは「将来困るだろう」と小さいながらに考える子もいるはずであり、その時点ですでに「二極化」は始まっている。いや、実はここの「意識の差」が後々効いてくる。将来の就けるであろう仕事の幅や、得られるであろう生涯賃金は、実はこのあたりの意識がボディーブローのようになって後から効いてくるものだと思う。
なぜそんなことを言うのか。
今でも鮮明に覚えているのだが、私が小学生のころ、道徳か社会か何かの授業で「日本人は外国と比較して有給休暇の取得日数が非常に少ない」と教わった。
私は小学生ながらに「なぜお金をもらって休める日を無駄にしてしまうのか?」と強烈な疑問を抱いたことを、覚えている。
そして、私は10年間のサラリーマン人生で、有休を1日たりとも残したことがない。大正製薬入社1年目から有休消化率は100%だった。
何が言いたいのかと言えば、小さなころの「意識」って、無意識に意識しているものだということ。人格形成に影響していると言ってもいい。
つまり、小学生や中学生のころに「将来のために今から頑張っておこう」という意識が芽生えている人と「今が楽しければそれでいい」あるいは何も考えていない子では、埋めることが難しいほどの「意識の差」ができているのではないだろうか。
生まれ持った才能や、育ってきた環境や、両親から引き継いだ財産など、変えられないことはたくさんある。しかし、自分の意識だけは「自分自身」で変えられる。
今の世の中の、過酷なまでに拡大している二極化の根本的な原因は「将来のことを考えて行動するための意識」を持てているかどうか、ではないだろうか。
何も学生に限った話ではない。例えばだが、投資が全盛の時代である。私ですら始めたのは遅かったので、あまり偉そうなことは言えないのだが、これだけ個人で投資ができるようになり、やった方がいいと紹介され、実績もあり、信頼に足りる情報があるのにも関わらず、いまだに金利がほぼほぼ無と等しいような銀行に資産すべてを預けている人がいる。
これだけ円安が進み、円の価値が下がり、世の中の物価が確実に、如実に上昇しているのにも関わらずです。
残酷なまでに二極化は進む。ハッキリ言って、金利がほぼ0のような銀行にお金全てを入れているという人は、金銭的には、なかなか豊かになれない。
なぜなら、あなたは簡単な道を選んでしまい、リスクをとらなかったせいで、その真逆、頭を使い、リスクを許容できる人に負けてしまっているからだ。
投資に限った話ではない。あらゆる点で言えることだと思う。
「将来のことを考えて行動する意識」を持つ練習をしてこなかった人は、ここでも行動に移せないのだろうと思う。こうして保有資産の二極化が徹底的に広がってしまう。
教育についても二極化が進んでいるようだ。「進むべき価値のある大学」と「それ以外」の差が広がっているという。つまり、少子高齢化の現代においても、前者には人が集まるが、後者には人が集まらない。前者は当然、優秀で「将来のことを考えられる人」にしか門戸が開かれておらず、それ以外は後者の大学に進むしかない。
この差は、どこで生じるのだろう。やはり、小学校・中学校での意識の差にあるのではないか。むろん、高校から意識が開花する人もいるが、時すでに遅しなことも、経験的に多いのではないかと推察できる。
というのも、小学校や中学校で意識を開花できなかった人が、高校で開花する例や、ドラゴン桜のような特殊な例はあまり知らない。
世の中の二極化が、言ってしまえば「弱者救済」の方向に進んでくれるほど、世界が優しいとは、残念ながら思えない。なぜなら、その世界は「強者が強者に優しいように作っている」からにほかならず、この仕組みを知らずに、利用できない限り、二極化した世の中のマイナス側に立たされてしまう。
小学生や中学生の時の意識の開花・・・なんて話をしたけれど、遅すぎることはない。いつだって、どんな時だって。
もしも、自分が「将来のための行動」をしていないと感じた時、それは黄色信号だ。二極化した世界のマイナス側が、あなたを引き寄せる。
私は「Better late than never」という英語のフレーズが好きで、何かに迷った時、思い出すようにしている。やらないより、遅くともやった方が良い。私はこの精神が好き。悔やんでもしょうがない。過去は変わらないからね。
二極化した世の中の、プラス側にいよう。プラス側にいて、マイナス側の人を助けてあげたい。このコラムはなんてことはない、ちっぽけな存在だが、何かの気づきになれば、嬉しいな。
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