
これほどたくさんの情報に触れられる時代、触れてしまう時代は幸か不幸か。
noteを開けばたくさんの人が情報を発信している。Youtubeを見れば、政治から、金融から、ゲームから、音楽まで。ありとあらゆるカテゴリーの動画が氾濫している。
X (Twitter) なんてその最も下品な例で、雑多な情報が蠢き、罵詈雑言も飛び交う、まるで情報のスラムのような場所になってしまった。
Yahooニュースを覗けば気が滅入るようなニュースが耐えず流れている。
とにもかくにも、情報が氾濫して、収拾がつかない。そんな時代を生きる私たち。
自分の意見をインターネット上で述べるのは自由だけれど、何も学ばず、極めて表面的な意見が野次馬のように集まっているようにも見える。
こんな時代に、氾濫する情報とうまく付き合うには、私たち自身が自衛の心を持って、情報と上手に付き合う必要があると感じる。
まず一つ、大抵のコメントは「特に学習したわけでもなく、識者でもない一般人」が「その場の気持ちで何となく書き込んだ」ものだと理解すること。
誰しもが、ニュースなどを見て“もっとこうしたらいいのに、なぜしないのか。”と疑問を抱く瞬間はある。ただし、そこで脊椎反射のようにバカみたいなコメントを投稿する前に、一瞬立ち止まりたい。「当然、検討された上で今の状況があるわけだろうが・・・」と。
コメントを含め、情報に触れる私たちも、記事やコメントを鵜吞みにするのではなく、自分自身にとって核心となる情報は何なのか、判断する軸を持っている必要があると思う。
それほどに、本来は触れる必要がない、目にする必要すらない情報が溢れているように感じる。今の社会では。
次に、人間は「誰かにものを教えると快感を覚える」生き物だと知っている必要がある。つまり、別に革新的な情報があるわけでもないのに、「意見を表明するのが気持ちいいから」「ここ以外、自分の意見を聞いてくれるような場所がないから」「社会に参画している気がするから」という理由で多くの情報は発信されているという事を、知り、身構えなきゃいけない。
最後に、触れる情報の量を意識してコントロールすことも重要だと思う。X (Twitter) はできればやめたほうがいい。私はXに名称が変わるタイミングでスパっとやめたのだけれど、本当にやめてよかった。一応覗くだけの空アカウントはあるのだけれど、覗けば地獄のような場所になっている。
Yahoo!ニュースなどのニュース情報も、あまり見過ぎないことだ。どうしてもネガティブな情報に触れる機会となってしまい、心が苦しくなることもあるだろう。
最後に、何より重要だと思っていること、それは、情報を見て、情報に触れて見聞きして、知った気にならない、ということ。
世の中に情報が氾濫している、それに触れることで、なんだか色々と知った気になるかもしれない。コメントをして、意見を言えるくらい賢くなったような気がするかもしれない。
なってないぞ。
口だけ達者なだけで、実がなく、カラッぽだ。
学びもせず、行動もせず、実践もしないあなたのコメントは、実に寒々しく空虚をさまよう。
そんなことをしているくらいなら、新しいことを学ぼう。行動しよう。実践して、自分自身の人生を楽しもう。まわりまわって、それが世の中のためになるってことなんだから。
意味もなくソーシャルメディアやYoutubeやYahoo!ニュースやnoteばかりを見ているくらいなら、本を1冊でも多く読もう。その方が、人生が豊かになる可能性が高まる。
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