上達が早い人ほど、すぐに「飽きてしまう」理由。

「よーいドン!」で新しいことを同時に始めても、人によって上達の速度は異なる。

勉強もそう。運動もそう。ゲームもそう。どんなことでもそうだと思う。

上達が早いってことはつまり、「要点を掴む」ことが上手だってこと。まず何をしたらいいのか、何から学習すべきなのか、次のステップに進むため、どれくらいの時間や労力をかけるべきなのか。

理解するのが早い。

加えて、上達が早い人は上手な人を真似るのもうまい。自分が目指すべきロールモデルを見つけるのがうまいし、上達に必要なエッセンスを取捨選択する能力に長ける。

逆に、上達が遅い人はどうだろうか。上達が早い人とくらべて、頭が悪いのだろうか、要領が悪いのだろうか、段取りを組むのが苦手なのだろうか。

得意不得意もあるだろうが、なにより、物事の捉え方が違うのだろうと思う。「成長」の解釈が異なるのかもしれない。

上達の速度がゆっくりな人は、マイペースなのかもしれない。そもそも、上達を急いでいないことも多いだろう。目先の成長を求めるのではなく、対象の本質を初心者ながらに感じ取ろうとしているのかもしれない。

上級者のマネから入るのではなく、まずは徹底的に失敗を繰り返すことが大事だと考えているのかもしれない。

上達が早い人は、早く上達することが良しと考えていることが多い。効率的な人だ。頭の回転は速いだろう。観察力があり、それを自分の能力に変換する器用さも兼ねそろえている。

だから上達が早いし、成長の初速度は大きい。

どちらが良い悪いという単純な比較ができないのは言うまでもないことだけれど、私の感覚として、前者は「飽きやすい」人が多いように思う。後者は、大器晩成といった具合に、最初は上手くいかないように見えて、後になって大きく成功したり、いつしか前者より上手くなっている。

必ずしもウサギが亀に負けるわけではないのだけれど、ウサギは飽きやすいから、途中で脱落して、マイペースの亀に負けてしまうことが多い。

上達が早い人はなぜ飽きやすいのだろうか。

上達が早い人は、ある一定の水準やレベルに到達すると、そこから先、さらなる成長に必要な「時間や労力」が割に合わないことに気づいてしまう、あるいは、その予想を自分が越えることが果たしてできるのか、確信を持てなくなる。

スポーツでも、ゲームでも、芸術でも、初心者から中級者になるまでに必要な努力は、中級者が上級者になるために必要な努力と比べて、言ってしまえば、たやすいものだから、上達が早い人は成長曲線を一瞬で駆け上がる。

しかし、成長速度が鈍化した時、つまり、中級者になった時、上級者になるのに必要な「時間と労力やそれに見合う報酬」が、初心者から中級者にレベルアップした時のそれと比べて、魅力的に思えなくなる。あるいは、その報酬が得られるか確信が持てなくなる。

上達が早い人は、この計算力が高い。だからこそ、最初はすぐに上達できた。「すごく上手」へレベルアップするための努力を見積もる能力にも優れている。それゆえ、そこから先、挑戦できないことも多い。

「飽きた」といって、自分の中に区切りをつけて、やめてしまう。

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こちらのポストで紹介した状態に到達すると言い換えることもできる。つまり、始めは「下手な存在」だったがゆえに、謙虚な気持ちで努力できた。しかし、中級者あたりになると、残された道は上級者になることだけなのだが、この時、越えられない可能性が高い「自分の上位互換」を見つけているかもしれない。

そうすると、上達が早かった人はこう思うのだ。

「これから先は成長するのに時間がかかる、もう、十分楽しめたからそれでいい」と。

上達が遅かった人はどうだろう。

こちらのタイプの人は、初めからゆっくり成長してきた。例えるなら、短距離走ではなく、長距離走タイプの人だ。同じペースで長い距離を走ることができる。

だから、初心者から中級者になっても息切れしない。そこから先に必要な時間や労力を、初心者だった頃と同様に、計算などしたりしない。

マイペースに続けていく。

だから、強くなる。終いには大きく成長している。

目指す場所、目指す立場、目指す地位などにより、どちらの戦略が優れているかは異なる。生まれ持っての性格も大きい。

私は圧倒的に前者のウサギのような人間だから、よくわかる。

小さなころから色々なスポーツに手を出しては、圧倒的なスピードで上達した。初速度にはかなりの自信がある。

でも、どのスポーツでも大成していない。

一方で、自分が苦手だったもの、明らかに「優れていない」と理解している分野では事情が異なる。英語がまさにそう。私は、英語が大の苦手だったからこそ、真剣に勉強に取り組み、10年以上の歳月をかけて成長してきた。

不思議なもので、スポーツでは目を張るような成果は何も残せていないのに、苦手な英語では、自慢できるようなことも、してこれた。

もしも、自分が「得意」だと思っている領域で成功したければ、すぐに上達する事ばかり意識せず、初めから「時間をかけて取り組む」意識を持つと良いと思う。

すぐに成長したい、すぐにうまくなりたい、すぐに結果を出したい。

その気持ちは痛いほどわかるけど、息切れしやすい。飽きてやめると、それまでの努力が、まさに泡のように消えてしまう。

ある程度上達した時、こう思うだろう。

“かなり上手になったな、ここから時間をかけて極めても・・・これくらいか。じゃあ、もういいや”。

こればかりを繰り返していると、なにをやってもすぐ上手になるのに、目立った成果を残せない、器用貧乏な人になってしまうかもしれない。

私の例で言えば、スポーツでは自信過剰で傲慢だったのかもしれない。初めは違ったとしてもね。英語では、ずっと謙虚な気持ちで取り組んできた。その違いかもしれないね。

長いこと取り組むことで「根性」も付いてくる。つまり、知らず知らず心も鍛えられている。短期間に急成長すると、心が鍛えられない。この違いも大きそうだ。

短期間に成長して、そのまま上級者になる人もいるだろう。でも、世の中の成功者や上級者って、長い時間をかけて取り組んでいる人が多いような気がするね。

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