見えて、知ってしまって、そして挑めない。

おじいちゃん、おばあちゃんだってインターネットを使い、Youtubeのチャンネルを運営したり、e-sportsの大会に出たり、チームを組む時代です。

インターネットを介して、一瞬で全世界中に共有され、地域を越えて、国を越えて情報は拡散する。高度なAIツールの登場により、言語の壁さえ超えて、AIに聞けば(間違っていることもあるけれど)知りたい事を「一瞬で知る」ことができる。

書籍からネットへ、文字から動画へ、さらにはAIがまとめた要約すらも瞬く間に得ることができる「真の情報社会」の中で生きる私たち。

良いこともたくさんある。いや、良いことの方が多い。英語ができなくても、chatGPTなどを使って「知りえなかったこと」をすぐ調べられる。

料理初心者がYoutubeを見ながら、美味しい料理作るのだって簡単だ。

本当に便利な時代だと思う。それは間違いないのだが・・・。

いろいろな事が見えるから、すぐに知ってしまう時代だからこそ、起こり得る副作用もある。

「自分の上位互換だと思える存在」を見つけてしまうこと。

どんな世界にも上がいる。その分野でトップに立っている人は、一握りであり、真のトップは文字通り頂点に1人しかいない。

プロの世界でなくとも、趣味だって同じ。スポーツでも、料理でも、マラソンでも、囲碁でも、イラストでも、3Dモデリングでも。

「何か新しい趣味が欲しい」「何か新しいことに挑戦したい」そう思った時、多くの人は上手な人のやり方を調べるものだと思う。

あなたは、こんな風に感じてしまうことはないだろうか。

「今からやっても追いつける気がしない」「私がやりたかったことを120%実現している人がすでにいる」「下手くそすぎて比べるのが恥ずかしい」・・・と。

日本一周を例に出してみたい。

自転車で日本一周をしたい、旅をしながら写真を撮り、日本の美しい風景に出会いたい。そんな旅をしている先人はいないだろうか。調べると出るわ出るわ。JapanNomadとかいうブログは、ちょっとだけ写真にこだわりながら旅をしていたようだ。

充実した旅だったんだな。会社を辞めて、時間をかけて、お金を使って。私にもできるのだろうか?

というか、同じような旅になってしまうのでは?ブログも似たようなものになってしまうのでは?パクリと言われないのだろうか?こんなに日本一周している人がたくさんいるのに、私がこれからしたって、それが何になる?二番煎じでは?時間の無駄では?あの人の旅の劣化版なのでは?

他人は他人、自分は自分。これを忘れると、何もできなくなる恐れがある。競争がいけないと言いたいわけではなく、他人と比べない、ましてや先行して始めている人と比べちゃいけないってこと。

自分より上手な人に、始める前から負けてしまう。いや、競争ではないのだから、そもそも比べる必要すらない。ましてや勝敗などあろうはずもない。

なぜ記事を書こうと思ったかと言えば、私自身が、こんな風に思うことがあるからに他ならない。

私は半年前から「絵を描く練習」をしている。

これまでの人生で絵を描いたことはガチでない。マジでない。小学生のころ、両親の似顔絵を描く宿題があったのと。中学の美術のテストでリンゴのデッサンをしたくらいだ。高校は音楽クラスで美術がなかった。リンゴのデッサンをしたのが、絵を描く最後の経験だったと思う。

私は漫画やゲームが大好きで、はっきりと、アウトドアよりインドアの趣味の方が好きだし、歴が長い。

今は時間が比較的あるため、絵を描く練習を始めた。38歳にもなって、ゼロから絵を描く練習など、正気だろうか。狂気じゃなければやってられないのかもしれないね。

言うまでもなく、世の中には「絵が上手な人」がたくさんいる。私が絵を描けるようになろうがなるまいが、世界は回る。

小さいころからイラストや絵を描いてきた人に敵うはずもない。

「俺が今から絵を描くなんて不可能」「お金を払ってイラストレーターに依頼したらいい」という考え方もあるし、何度もそう思った。

あと少ししたら、AIがさらに発展して、絵なんて描かなくても、必要なイラストを調達できるようになるのかもしれない。だから、今は挑戦したって、練習したって、時間の無駄かもしれない。もがき苦しむことは無駄な時間なのかもしれない。

何度もそう思った。

一方で、私は「ゼロ」から始めて習得する「悦び」も知っている。喜びではなく、悦びだと言っていい。できないことができるようになるのは、快感なのだから。

私は大学に入学するまで「英語が死ぬほど嫌い」だった。

しかし、いろいろと思うことがあり、大学生から英語の勉強を本格的に始め、今ではペラペラであり、前職では海外に行っては取引先と折衝し、食事をし、いわゆるグローバルな仕事をしていた。大学生の時に、英語の勉強をはじめていなかったら?この未来はなかった。0か100かだと言っていい。それくらい人生が違っていた。

絵はどうか?

半年間、私は「休むことなく毎日練習」したため、板タブの真ん中はすでに剥げてきている。最初は本当に苦しくて死にそうだったが、今ではかなり「絵が描けるようになった」と言える。

情報を利用したからね。今はYoutubeを見ながら「絵の描き方」を効率的に学ぶことができる。動画を視聴するだけではない。実際に、自分が修得することが重要なわけだ。

自分より優れた存在はいる。上位互換は「必ず」存在する。

上位互換を見つけてしまった、知ってしまった・・・でも、だからなんだってんだ。

やりたいなら、やろう。

「やらずに知った気になったり」「見ただけでやった気になる」のはもったいない。

どうしてそんなことを言うんだって?

だってさ、そんな人が増えている気がするんだ。特にYoutubeの存在が大きいのかもしれないね。AIの発展もあるだろう。英語が話せない人が言うんだ“あと少し待てば、英語を勉強しなくてもAIを使って会話ができるようになる”と。

でもさ、それはそれ、これはこれ。AIが国際交流を助けてくれるのは大いに結構。でもさ、そのことと、自分自身が英語を話せるってことは、ぜんぜん意味が違うじゃないか。だって、英語が話せたら楽しいんだから。

優れた存在を見て、知ってしまって、ビビッてしまい、始める前からなんだか負けた気になって、挑戦できないなんてもったいない。気を付けて。Youtubeなんかの動画にはリアリティがある。やらなくても楽しめるし、知った気になれるんだ。挑戦にとっては、薬にもなるし、毒にもなるってことだよね。

他人と比べない。比べるのは、「昨日の自分、去年の自分、過去の自分」だ。

死ぬときに「あれもこれも知った気になっただけで、自分は何一つ挑戦しなかったなぁ」なんて、寂しいじゃないか。一流にはなれなかったかもしれない、でも、挑戦してきたから「最高の人生だったぜ」俺はそう言いたいね。

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