いい写真ってなんでしょうか。
そんな風に考えるきっかけとなったのが、話題の写真編集ソフトLuminar4。
昼間の空を夕焼けの空に置き換えたり、光芒や天の川を簡単に合成できたりする、魔法のような写真編集ツール。
写真のレタッチがますます簡単になり、ワンクリックで空を置き換えられる便利な時代。
私にとってのいい写真とは何か、何のために写真を撮っているのか改めて考えてみたいと思います。
魂の宿った写真こそ、いい写真ではないか。
元も子もないようですが、撮った本人がいい写真だと思っていれば、それは文句なしに最高の写真だと思っています。
しかしそれだけで満足できないのは、それは主観の話だから。
写真をやっていれば、とくに世間に自分の写真を発信するのであれば客観的な評価は気になるもの。自分の写真が褒められたり高い評価を受けたら嬉しいですもんね。もちろん私もそうです。
では、客観的にいい写真って何でしょう。
明確で絶対的な一つの指標があるわけではありませんが、私が考えるにいい写真とは、必ずしもフォトコンの審査員を唸らせる写真でも、インスタグラムやツイッターでバズる写真でもないと思ってます。
魂の宿った写真こそ、いい写真ではないでしょうか。
山岳写真の例で言えば、
「豪雪時の立山で粘った剱御前からのアーベントロート剱岳」
「トムラウシのロックガーデンで待ち続けた躍動感あるナキウサギ」
「厳冬の毛勝三山からの写真」
魂が宿ったなんてカッコよく言っていますが、その写真にかける想いがあればいいという事です。
写真の描写も大切ですが、その写真が撮られるまでのストーリーも同じくらい大切なんじゃないかと思っています。
フラッと撮れた絶景より、何度も通い、狙って、しがみつくようにようやく撮れた絶景の方が絶対楽しい。
そして、そんな情熱が伝わる写真を撮りたいと思っています。
そのうえで撮影の技術や構図、もちろん機材も重要です。
写真が撮影されたプロセスにドラマがあれば、写真に魂が宿ると思います。ある意味では、その写真を撮るのにどれだけ苦労したのか、どこでどのように撮られた写真なのか、と言い換えられるかもしれません。
「苦労したらすべていい写真なの?」という意見も当然ありますよね。
偶発的だからこそ撮れる素敵な写真もあります。ただ、これらの偶発性にも、その一瞬のチャンスが起こりうる環境にいたという努力があった可能性が高いと思います。
素敵な写真の背景には、ドラマがあり、苦労や努力が伴うことが殆どだと思います。
写真のレタッチといい写真であることは関係ある?
視点を変えて、写真のレタッチといい写真は関係があるでしょうか?
私の答えは基本的にNOです。
矛盾するようですが、私は写真のレタッチをしています。
理想はJPEGでの撮って出しだと思っていますし、レタッチすることといい写真であることは関係がないと思っています。
それでもレタッチをする理由はシンプル、Nikon Z6のような最新のカメラでも、肉眼で見た景色を写真で再現することはできないからです。
私の撮る山や風景は明暗差が大きな被写体。
肉眼では太陽をバックに山を見ても山がハッキリと見えますが、写真では黒潰れしてしまいます。逆も然りで、逆行時に山を写せば太陽や雲は必ず白飛びします。
美しい紅葉も遠景で写せば色褪せるもの。
少なくとも今のカメラのJPEGですべての景色を思い通りに撮影することは難しい。
レタッチにより生まれる写真の味や効果が楽しいというのも少なからず事実。
ではなぜレタッチといい写真が関係ないと思っているかと言えば、山岳写真集などに見られるフィルム写真や、レタッチなど程遠い時代に撮られた写真でも十分に迫力があり、素晴らしいものが多いからです。
彩度やシャープネスを最適化することが全てではないと改めて考えさせられます。
Luminarという写真編集ソフトに感じる違和感。
最近色々なブロガーさんや写真家の方がLuminar4という写真編集・加工ソフトをPRしていて、その存在を知りました。
写真の編集ソフトの代表にはAdobeのLightroomやPhotoshopがありますが、Luminarの知名度も高まっているみたいです。
Lightroomは写真の管理&編集ソフトとして、Photoshopは写真に限らない画像編集の金字塔としてデジタル写真には無くてはならない存在ですが、Luminarはどういった存在なんでしょうか?
公式ページを見ると以下のような説明がされています。
あなたの写真を、一段階上のレベルに
Luminar 4は、写真編集を新たな高みに引き上げます。 革新的なツールとAIテクノロジーが あなたの創造性に大いなる可能性をもたらします。
AIスカイ・リプレースメント
写真の空を置き換えることで、写真の雰囲気をすぐさま変えることができます。 スマートなアルゴリズムのおかげで、その複雑なタスクが自動化されました。
太陽光線
リアルな光の筋を作成します。太陽の光を画像に追加し、修正します。樹木や建物などのオブジェクトの間に、豊かな太陽の光が魔法のように浸透する様子を見てみてください。
長年の開発の後、私たちは写真編集でできることの認識を変える新技術を導入することに興奮しています。Luminar 4 は、写真家たちのニーズに合わせて厳密に調整された新しいワークフローとともに、市場に現れます。また、最も困難で時間のかかる編集作業を簡単に進めるための革新的なツールもあります。これは、画像編集の後処理を容易にすることで、写真撮影の1分1秒を心ゆくまで楽しむために作られました。
Luminarの共同創設者
兼最高製品責任者
「写真編集でできることの認識を変える新技術の導入」「時間のかかる編集作業を簡単に進めるための革新的ツール」とあるので簡潔に写真をダイナミックに現像するためのソフトと捉えられるでしょうか。
日頃からRAW現像している私ですが、端的に言えばLuminarという写真編集ソフトには違和感を感じてしまいました。
Luminar 4の初期のバージョンでAIスカイ・リプレースメントを見た時、私は強烈な印象を受けました。空を修正できるソフトウェアをたくさん知っていましたが、Luminar 4のそれを使った時は自分の目を疑いました!ムードを検出し、変える機能は本当に素晴らしいものです。自分のワークフローにこれを追加するのが待ちきれません。
写真の現像は基本的には補助的な役割だと思っているので、
いい写真にするための現像はLuminarを使えば何ともできますというメッセージは・・・
「写真を撮る時間をなるべく長くして、とにかく色々な素材を揃えてください。いい写真にするための現像はLuminarを使えば後で何とでもできます」
・・・
少なくとも私には、こんな風に映っています。
その景色を見たという記憶こそ写真撮影の醍醐味。
写真撮影って、写真を撮る行為が楽しいだけではなく、
その景色を見たことに感動するからこそ楽しいのではないでしょうか。
一方で、後から合成できることがありきだったらどうでしょうか。
自然現象と向き合い、撮影の対象としている風景写真にとって、簡単に空を置き換えるとか、天の川を合成すると言われてしまうと、どこか風景写真という行為を軽んじているように感じてしまいます。
そもそも、合成された景色であると知ったら、自分はもちろん、他人を感動させることはできるのでしょうか?
今流行りのAI技術を駆使し、写真の中の空を自動検知して、様々なプリセットや自分が撮影した他の風景の空を合成することができるという「AIスカイ・リプレースメント」。
・・・
自分の足で撮影地の赴き、天気に一喜一憂しながら撮影するのが、少なくとも私にとっては風景撮影の醍醐味です。
観測してもいない満天の星空を合成したところで、写真に魂が宿るわけがありません。
Luminar4は写真論にさらなる一石を投じる編集ソフト。
写真のレタッチの是非や写真のあるべき姿などはググるとたくさんの論争が展開されているテーマです。
Photoshopでも空の置き換えができるし光芒を足すことができます。
レタッチの程度だから是非は個人に委ねられるべきという意見も分かります。
フォトコンのようにルールが決まっていなければ、写真の編集にルールがあるわけでもなく、写真の撮影から編集加工まで好きなように楽しむのが一番だとも思っています。
Luminar4を使ってどんどん写真を作り込むのも一つの楽しみ方だと思いますし、写真のジャンルによって相性も違ってくると思います。
このソフトを知ったからこそ、私は私なりの写真撮影を追求したいなと感じました。
私は写真が撮影されるまでのプロセスを大切にしたいし、何よりその場で見た景色こそに価値があると思っているので、山岳写真で空を置き換えたり光芒を足したりすることはあり得ないと思っていますが、デジタル写真の可能性を広げるツールであることは間違いないのでしょう。
どの程度レタッチした写真であるかを見破るのはかなり難しいため、どこでどのように撮影され、編集された写真なのか明確にすること、それらを見る目を養うことがますます重要かもしれません。
ただ一つ言える事は、編集ソフトを換えたことにより写真のレベルが上がることはないということ。
写真の編集の幅が広がることは間違いないでしょうが、それはイコール写真のレベルが上がったわけではありません。
スマホの普及で書字が疎かになるように、インターネットの普及で記憶力が衰えるように、編集ソフトにより写真撮影の根幹が揺るがないように気を付けなければと、今回改めて思いました。